タッチング・アウェアネス・テクニック(TAT技術論解説)
2002.1.21
城山 雅広
はじめに
『いま、究極の癒しが始まろうとしている!』
『リラクセーション整体は芸術である!』
といえば、皆さんはハーンと思われるかも知れない。
今から、18年前私は様々な所で様々な指導を受け多くの技術書を読みあさりこれまでの整体は何かが違う!という思いをずーっとしてきた。
当時、私達が学んだ整体やカイロといえば強く瞬間的アジャストをしたり、ゴリゴリと乱暴に整圧をするだけの荒っぽい技法が主流だったように思う。
そして、学科といえば古典的な経絡や経穴(ツボ)の解説であった。
クライアントさんの気持ちなどは無視して!
このような整体にも関わらず当時の私の整体院には沢山のクライアントさんが押し寄せ千客万来であった。今思うと恥ずかしい限りであると同時にクライアントさんに申し訳ない気持ちで一杯である。
そうしたある日、今日のクライアントさんにはチョット手法を変えてやってみようという、なにげない“遊び心”でやった施療の後半戦!にさしかかると今まで気持ち良さそうにしていたクライアントさんが泣きじゃくっているではないか! ナッナント?!
施療をしている私の方が驚き、桃の木、山椒の木、、、ではないか!
今では、ちょっとも驚きはしないが当時の私にしてみればただただビックリしたという表現しか頭に浮かばない。
施療も終わり、お茶を飲みながら恐る恐る私が『頭痛、肩、背中の痛みはどうですか?…』
と聞くと『今まで先生には何回も施療を受けたけれど今回の施療が一番楽になり、胸の中にあったモヤモヤした、わだかまりも無くなりスッキリしました。今まで経験したことがない爽快感です。この技術はどこで学ばれたのですか?……』
と聞かれ私は、返答に困り顔を赤らめながらニコニコしていた当時の恥ずかしい自分を思い出さずにはいられない。
このような貴重な体験をクライアントさんから何回も与えて頂き、その度に『ああ〜私の本当の先生はクライアントさんなんだなー』と感謝の気持ちで一杯であった…… 今思うと当たり前のことなのだが。
そして、この時から私なりの?・・というよりクライアントさんから与えて頂いた貴重な体験を基にした、私とクライアントさんによる共同作業としての整体の考え方や、技術を行使する上でのこころの使い方、技術論みたいなものをまとめてみたいと思っていたのだが・・
元来、文章を書くという苦手意識と面倒くさいや!!と、いう思いもあって今日までに至ったのですがあるとき、ある事がキッカケとなり文章を作る楽しみを覚えたのです。
このことについては後日何かの機会があれば書きたいと思います。
ともかく、こうしてできあがったのが学院教本(1)に書いてあるTAT理論です。ここでの内容は『技術を行使する為の考え方』が書いてありますので、今回は私達が実際のクライアントさんと接し技術を行使する上での実戦編とでもいうべき技術論を中心にクライアントさんの心と肉体から聞こえてくる『声なきメッセージ』に耳を傾けながら静に解説を試みたいと思います。ですから、これから述べることは私の解説ではなく何万人というクライアントさんから頂いた『無言のプレゼント』とでも受け取ってもらえたらありがたいのですが…
私はあくまでクライアントさんの代弁者に過ぎないのだから!
ところで、皆さんは『整体』といえば『人の体を整圧したり、曲げたり、ひねったりと操作をする事で痛みや病を改善するもの?』とは考えていないだろうか?それは間違いだ!!
というつもりはないが、実は本当の目的はまったく別のところにある。
これから、述べるTAT技術論の上に成り立つリラクセーション整体法の技法は『整圧することやアジャストすること』、そのものに意味や目的を見いだす訳ではない。
整圧することやアジャストすることを通して術者とクライアントさんが『同じ時間と空間の中で“気”という存在をお互いが認識、共感することによって痛みや病を良い方向に改善する』、、、この事が本来の目的である。
なぜなら、リラクセーション整体法による痛みの緩和は術者とクライアントさんの『気の共感』によってのみ作用するものであり物理的な整圧やアジャスト自体によるものではないからである。
同じ苦痛を伴う、クライアントさんに対して整圧をしなくても患部から離れた場所から“気”を送るだけで楽になるという人さえ存在するからである。
だからといって、まったく整圧しなくても良いというわけではない。
同じ痛みや病であっても『改善する人』と『まったく改善しない人』の違いは一体どうしてなのだろうか???
このことから『気の存在』、についての認識なくして痛みや病という厄介な問題を解決できる方法は見いだせないように思われる。
しかし、私達は幸いなことに『心身一如』という言葉を知っている。
そして、『心技一体』という言葉も知っている。
この言葉の意味するところは、心と身体が同じ時間と空間において完全にしかも瞬時に一致した時に『なにかが発露する』ことを指すのではないだろうか?
その、なにかの発露が『気の存在』だと“気づいたとき”私達はこのTAT技術論の素晴らしさを認識し、TAT技術論は多くのクライアントさんからの内なるメッセージであることに、共感と感謝をもって読み進んで頂けるものと確信する。
さて、冒頭で述べたように“遊び心”で行った施療がすなわち『究極の癒し』、であり『リラクセーション整体法は芸術である』、ことの具体的な技術論をこれから順を追って述べてみたいと思うが、これから述べる事はクライアントさんからのメッセージである…と、そうした気持ちで、読んでいただけるなら皆さんの技術は更なる進化を遂げ、全てのことがきっといい方向に進んでいくことだろう。
しかし、今思えば私はクライアントさんや生徒さんを通して様々な体験と貴重な経験をさせていただいた……。
このことが、今では私の人生観を変え、ものの見方を変えている。
そして今、幸いなことにこれといった病気もせず充実した人生が送れている。きっと、これが皆さんから送られた『気』というものなのだろう!
なぜなら、究極の癒しであるリラクセーション整体法は『気を行使する技術』なのだから!!
なが〜い、なが〜い序文になってしまったが初心者にはあくまで分かり易く上級者には“ハッ”と、する内容が書かれてあるので、読者は逞しいイマジネーションを泉のように沸き立たせながら、好奇心と興味を持って読んでいただければ幸いである。
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